2008年09月21日

「芹沢鴨は何故暗殺されたか」

おはようございます。

まさとです。


今年の夏書いたレポートで好きな題材のものがあったので、ブログで紹介します。

下記リンクからどうぞ〜


「芹沢鴨は何故暗殺されたか」

 新選組の歴史は、その人気ゆえに脚色が加えられ、だんだんと何が真実で何が虚構なのかが分からなくなってきていると感じる。時代小説であるならそれでも構わないが、歴史は歴史的な事実に基づいて語られなければならない。そういった観点から、今回は新選組の「芹沢鴨」という人物に焦点を絞って検討してみたいと思う。
 はじめに、芹沢鴨という人物を辞書で引いてみると以下のように書かれている。「新選組隊長。常陸国行方郡の豪農の家に生まれる。名は光幹。剣術を修行、神道無念流を修めた。一八六三年(文久三年)将軍徳川家茂上洛の際、江戸幕府が警護のために設置した浪士組に参加、京都に残留して新選組隊長となり、尊攘派浪士の弾圧にあたるが、乱行のため近藤勇らと対立、沖田総司・土方歳三により妾とともに暗殺された」(『日本史広辞典』より引用)
 「芹沢鴨は数々の乱行が原因で暗殺された」というのが一般的なイメージとしてあるが、子母澤寛氏は『新選組始末記』の中でその原因について、一八六三年(文久三年)八月十三日に起こった、外国交易をおこなっていた京都の大和屋庄兵衛放火事件を挙げている。この事件は、芹沢鴨率いる隊士達が大和屋庄兵衛方を訪ねて隊費の借用方を強談したところ断られたので、その夜に隊の大砲を引き出して行って、大和屋の土蔵へ撃ちかけるという騒ぎを起こしたというものである。芹沢鴨はその最中、屋根の上へ立って笑っており、「愉快愉快」と連呼しながら引き揚げたという。これに対して、お預の松平容保(京都守護職)は腹を立て、近藤勇らを守護職屋敷に呼び出し、密かに芹沢の処置を命じたという。
 これは子母澤寛氏が、西村兼文氏(京都西本願寺の寺侍であった)の評伝「新撰組始末記」に、この事件が芹沢鴨とその一派の愚行として書かれているのを元にして書かれているものである。しかし、芹沢鴨の暗殺とこの事件を結び付ける歴史的根拠はない。
 この事件の風聞は多く記録されているが、そのすべてが犯人は不明としている。例を挙げると、京地居住の記録者による史料には、「交易致、糸反物類買込、西陣織屋共困窮者多く有之」と、大和屋が外国交易をおこなって糸や反物を買い込むので、西陣織屋が困窮していることを理由として火をかけ、生糸高値による営業不安の職人・町人達はこの挙を利用して、大和屋を打ちこわしたとし、犯人の浪士に関しては身元を言及していない。次に、中津川の平田国学者に伝えられたものには、「見物の者え浪士差図いたし、本宅別宅倶に打こはし」と、犯人を「浪士」とするがそれ以上は言及しておらず、この史料にも「西陣より多勢出、火をつけ候」と西陣の人々が打ちこわしに参加したことが書かれている。また、江戸居住の津軽藩士が手に入れた風聞には、「浪士ども参り焼候」と「浪士」の詳しい身元については言及せず、「西陣の織職共大勢寄集り」と西陣の織職が打ちこわしに大勢参加したことがここにも述べられている。
 しかし、数多くの風聞の中で一つだけ新選組に言及した史料がある。信州松代藩士の高野武貞が記録し続けていた『莠草年録』の中に、在京中の御親兵片岡春熙の日録がそこに引用されている。それには、「壬生の浪人三十六人何れも白はち巻たすきにて、袴を高く上げ、抜身を持、蔵の廻りを廻り、板切等を持、火を付居候」とあり、また「屋根の上より浪士ようの者一人、指図いたしおり候」とある。相川司氏・菊池明氏の『新選組実録』はこの史料を元に「大和屋庄兵衛放火事件の犯人は芹沢鴨とその一派である」という説を支持していて、「屋根の上で指示を出していたのは芹沢鴨だった」としている。しかし、これはあくまで片岡が噂として聞いた話を書いたものである。その後片岡は、実際に現場に赴いて実見するのであるが、「東側庄兵衛本宅の方、内より棒にて屋根を突上、もくもくと致、瓦を落し候、是は上へ出候得ば面を被見候故の事哉」「屋根の上の浪士抔の者壱人差図致居候、見物の者に何者か毀やと承候処、何れも不存候共、多分は西陣の者共の由」、つまり家を壊しているものは顔を見られないように家の中から瓦を落していて、屋根に登って指図しているものの正体をまわりの者に尋ねてみても、誰もその正体を知っている者はいなかった。そしてたぶん西陣の者達であろうと述べている。
 実際、西村氏は『近世屋史』の中で大和屋庄兵衛放火事件を取り上げているが、次のように説明している。「此義は同組の内、近藤勇、土方歳三、三南三治郎、沖田総治、原田佐之助など、会藩の内命にて斬戮候由、沖田総治には別て其砌面体に少々疵を請候事、且過日葭屋町大庄乱妨の一件は、全芹沢鴨の所為に有之様子に御坐候事」つまり、芹沢鴨の暗殺には根拠が必要だという発想から、その伏線的出来事を虚構する中で、その筋道をつけようとしたのである。
 では、もし大和屋庄兵衛放火事件が芹沢鴨達の犯行でなかったとすれば、芹沢暗殺の原因は何だったのだろうか。
 新選組の幹部であった永倉新八が死の直前に語り残した体験談が書かれている『新撰組末記』には、芹沢鴨の死の原因について以下のように書かれている。「芹沢はさきには島原遊郭角屋の珍器什宝をこっぱみじんにうちこわしたうえ主人徳右衛門にゆえなく七日間の休業を命じ、大阪新町吉田屋では小虎がわが意のままにならぬといって仲居のお鹿もろとも髷を切りすてる、ついで四条堀川の商屋菱屋の妻お梅という美人を強奪して妾となしはては毎夜のように島原のあっちこっちと暴れ廻り、すこしにても気にいらぬと例の三百匁の大鉄扇がうなって人をうち腰の佩刀がみだりに鞘を払われる。しかるにいっぽうの隊長近藤勇は驍勇の士であるがこのんで剣をろうすることをしない。抜くべきに抜き斬るべきに斬る、その残虐の手をくだすにも公々然として断行する。芹沢の一徹短慮とはぜんぜんいきかたをことにするのであった。したがって両人のあいだにはいつしか深いみぞができて近藤をして隊の面目の保持には涙をふるって芹沢を葬らねばならぬとまで決心せしむるにいたった」つまり、島原の角屋で大暴れしたり、四条堀川の菱屋の当主の妻を横奪したりといったような非行により、芹沢は暗殺されたとしている。
 確かに、芹沢の死の原因にはそういった要素が入っていたことは否定できないことだと思うが、根本的に近藤勇の一派と芹沢鴨の一派の間で考え方の違いがあり、近藤一派が新選組を掌握するべく暗殺したのではないかと私は考える。以下で二人の思想的な流れを見ていく。
 まず、芹沢鴨は水戸の天狗党の出身である。天狗党とは幕末の水戸藩における尊王攘夷の急進派であり、「尊王攘夷」「尽忠報国」の銘文を掲げていた。過激派ではあるが、長州藩士や長州系の過激派があっさりと討幕を口にするのに対し、水戸は御三家だけに、過激派といえども反幕府に踏み切るには慎重なところがある。それに対して、近藤勇も強い尊攘思想の持ち主であったが、過激派ではなく幕府擁護も大事であった。
新選組の母体である浪士組から近藤・芹沢達が決別して京都に残留した時、幕府首脳が攘夷の問題を曖昧にしたまま将軍を東帰させる方針であったのに対し、残留組の近藤・芹沢は「将軍は京都で攘夷の作戦を立て実行するべきである」という考え方で一致し、将軍滞京を求める建白書を出していた。
しかし、近藤は徐々に思想的転回を見せる。二ヵ月後に、攘夷の件が今だ曖昧にも関わらず将軍が江戸に戻ることになった。この頃近藤は幕府の攘夷が容易でないことを悟り、将軍が江戸へ帰っても攘夷がすぐには出来ないかもしれないと考えた。そこで、攘夷延期ということになれば、京都は大騒ぎになるだろうと考え、自分たちはしばらく京都にとどまり、その内変の様子を伺うことにしたのだ。攘夷を諦めたのではないが、過激派は将軍が帰っても攘夷が出来ないことを責めて幕府を討つという作戦だから、近藤はそれを阻止しなければならなかった。しかし、この考えに対して芹沢はどうだったか。芹沢自身の記録がないので確かなことは分からないが、私はこの近藤の考えに芹沢は百パーセント承服することは出来なかったのではないかと考える。当初は二人で均等に持っていたはずの主導権がだんだん近藤に移っていたのではないか。
将軍帰府後も京都にとどまった壬生浪士組に訪れた次の大きな画期が、文久三年八月十八日の政変であった。八月十八日の政変とは薩摩と会津が組んでの長州系激派追放であり、これによって久留米の神官で長州系激派浪士の真木和泉守が中心となって画策されていた親征倒幕の構想は粉砕された。
八月十八日の政変によって、過激派たちの環境は変わってくる。壬生浪士を預かった会津藩は、これまでのように過激派寄りの諸藩やその片割れに気を使わなくても良くなり、壬生浪士中の水戸天狗系に対しても、政治的配慮の必要度が激減したのである。
つまり、八月十八日の政変前の非行により近藤は芹沢の粛清の決意を固めさせたことは間違いないが、実際にそのきっかけとなったのは八月十八日の政変であったと私は考える。

〈参考文献〉
日本史広辞典編集委員会『日本史広辞典』(山川出版社・一九九七)
子母澤寛『新選組始末記』(中央公論社・一九七七)
西村兼文「新撰組始末記」(日本史籍協会『維新史料叢書 三十』(東京大学出版会・一九七四)
宮地正人『歴史のなかの新選組』(岩波書店・二〇〇四)
相川司・菊池明『新選組実録』(筑摩書房・一九九六)
永倉新八『新撰組末記』(新人物往来社・一九九八)
松浦玲『新選組』(岩波書店・二〇〇三)
『広辞苑 第六版』(岩波書店・二〇〇八)
posted by まさと at 16:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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